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携帯に見慣れない通知が出ていた。見ると、Gmail の本人情報に誕生日を追加するように促すものだった。あれ、そんなことある...?と一瞬思ったけど、私が小学生の時に作ったアカウント。そうか、昔は誕生日取ってなかったのか、、としみじみとしながら、そういえばいつから私はネットを使っていたのだろうと考えた。

初めてのPCは小学校1年生の時に、父が家族用に用意してくれたTOSHIBAのノーパソ。アメリカの教育テレビが作っているブラウザゲームが充実しててそればかり弟と遊んでた。小学校3年生で授業でも使うように。授業をちゃんと聞いてなかったのか、半年くらい〇〇.comと〇〇の部分に調べたい名詞を入れることが検索する方法だと勘違いしてて、不通になるページが時々あることに疑問を持っていた。

gmailは父が作るのを手伝ってくれた。設定を一つずつ自分で入力するように仕向けてもらい、パスワードは誕生日とか名前はだめだよと説明を受ける。メールアドレスは <本名@gmail.com> で一つ持っておくといいとアドバイスをくれて、ハンドルネームとドメインは積極的に取る時代になると説明される。その時は言っている意味がよくわからなかったけど、度々この言葉を思い出す場面がでてくる。

引っ越しが多く、ネットは昔の友達と交流するツールになる。中学生までは中国で自由色々使えたので、 blogger とかアメブロ、フェイスブック。ブロックされるとvpnを時々使いながらも(当時とても重かった)上海の友達とはもっぱら通信が途絶えない msn messenger でチャットしてた。学校の宿題から、告白なんかの甘酸っぱいイベントも全部メッセンジャーで、私の周りは hotmail 一強。当時の hotmail のハンドルネームは中二病全開で口が裂けても言えない。。

高校生のときにツイッターを登録しようとすると、本名が取られてて、同姓同名おる…って思ったことも印象に残ってる。

大学生の時点でインターネットでの出会いは、アメーバピグとかブログ読んでくれる人がいたけどリアル会うことはなかった。初めての「オフ会」なるものをしたのは Instagram でよく話をしていたオーストラリア人の女の子が飯田橋のカフェの写真を上げてて、思い切って声をかけてみたことだった。(日本には短期留学で来てた。)女の子同士だったこともあって、当人たちはなにも心配をしていなかったけど、周りの友達からはだいぶ心配されてたことを覚えてる。彼女はその後オーストラリアの専門学校に入り直して、UIデザイナーになった。今ではお互いの近況を報告しあったり、私がデザインの相談を持ちかけたりしてる。

最近は在宅の業務も多く、更にパソコンに張り付いている。仕事が終わればすぐに自分のプロジェクトに移ったりと、割と在宅は気に入っている。

この間、海外に住んでいる研究員の友達から「犬の散歩してるからどうしているかと思って」と電話がかかってきた。私もちょうどお昼を用意するから話そうと、サクッと新しく取り組んでる研究内容とデータ収集の相談にのって、また論文進んだら送ってねと話を終える。シンガポールの友達は、退勤後のホーカーから電話がかかる。ホーカーのおじちゃんも電話に出てきて何故か紹介してもらったり、一回体調を崩してから調子が戻らないという話を聞いたりする。

海外に限らず、日本にいる親友とも、月に一回は LINE電話 をしたりしてて、こういう暮らし方はすごく性に合ってるなと、最近やっと学んだ。

新しい出会いも、古い出会いも何かしらインターネットが絡んでいて、今となっては無い世界線が想像できない。これからも、どんな経験がこの先に待っているのか、楽しみだし、できる限りこの業界にいたいなと思う、そんな今日だった。