5月頃まですごく忙しかったので、2024年の体感実質半年くらいなのですが、よく働き、よく遊んだ年でした。(こういう風に書けるの、とても喜ばしい)今年の詳しい出来事は2024 月次備忘録 の方に書いているのだけど、こちらの方では総括ということで。

■アクティビティ

昨年に引き続き登山を続けていて、相変わらずいい趣味だなぁと思っています。6山くらい登ったようです。2025年は険しいところもついていけるように、ボルダリング始めたいなぁと思ってる。

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あと今年はコロナぶりに旅にもよく出て、いろいろな人と交流しました。

■行った:

■唯足るを知る

なんか数年に一回言っているような気がするんだけど、このテーマ今年で最後な気がする。今年が一番自分のちょうどいいを考え、他者とのちょうどいいについて考えることができた年だった気がする。例えば、登山でいうと最初登り始めの時にペース配分ミスるとめっちゃ乳酸出て足がだるくなったりするので、自分の身体に耳を傾けることや、一緒に登っている人がついて来れそうかとか、他者の介入があったのが今年でした。

また、ちょうどいい終わり方についても考えた年でもありました。理不尽や残念な出来事に納得感を追い求めてしまってはひとりでに苦しんでいるので、「気持ちの区切りをつける」(getting closure)ことについても考える時間を設けた年でもありました。区切りをつけるというか、切り替え方かしら?

<aside> 💡

「吾唯知足」というのは禅の格言で、「われただたるをしる」と読みます。謙虚であること、あるものに満足するという意味と解釈されがちなのですが。私は、ちょうど足りることを知ることは、何が多いかだけではなく、何が足りないかを知ることでもあると思っていて、そっちのほうがただ謙虚になることより難しいんじゃないかと思っています。

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■今年の字は「還」

年初の書初めでは、公私のバランスを意識したいという気持ちを込めて「均」という字を書いたのですが、実際はあんまり関係なかったですね。

月次のブログではよく書いたのですが、仕事の多忙で自分を曲げなければいけない場面も多く、自分らしさがどんどん薄れていく感覚が去年は特にあり、社会に順応して、かわしていく自分に恐怖感を覚えました。そのうえ、創作活動をする時間も設けられず(ここ例年そうですが)、自分の生まれ持ったものを活用できていないことからの空白感。

谷川俊太郎が何かのインタビューで、成長は年輪であると表現していたらしい。大人になると丸くなってそぎ落とされる現象に、本当に無くなっているのではなく若いころの自分は「年輪」のように人格の核にあり、いつでもアクセスできるようになるだけであると。これを読んだときに少し気持ちが軽くなって、時には昔の自分も召喚してあげようかな(笑)という発想が生まれてから楽になりました。

8月以降は十分に遊ぶ時間も設けて、遊ぶときは完璧にその瞬間を楽しむことでエンプティネスの時間をしっかり設けたました。(強弱大事ね)この時間で、なくしてしまったと思っていた無邪気さはだいぶ戻ってきたような気がする。